「論語の基礎・基本と名言集14選」

孔子の銅像

論語とは

論語は中国春秋時代の思想家である孔子とその弟子たちによる言行を収めた書物であり、孔子の始めた儒教の経典とされています。中国史上最も読まれた書物であり、南宋時代に創始された朱子学における「四書(論語・大学・中庸・孟子)」の一つとしても知られています。人生の迷いや悩みを読み解くヒントや、現在も伝わる論語に由来する故事成語もたくさんあり、今回はその基本と名言集をご紹介します。

孔子はどんなひと?

孔子は紀元前550年頃に魯に生まれ、紀元前479年に没したとされています。中国古代の思想家、哲学者、儒教の創始者であり、釈迦、キリスト、ソクラテスと合わせて4大聖人の一人に数えられます。

孔子の功績としては、それまでシャーマニズムのような原始的なものであった儒教を体系化したことが挙げられます。儒教の元となったのは、魯の開祖とされる周公旦が定めた「周礼」と「儀礼」で、孔子はこれらをベースにしてまとめ上げることで儒教を創設していきました。また孔子は自らの思想を政治の場で実践することを望みましたが叶わず、その功績や思想が認められたのは死後になります。生前の逸話として、飲食に関して強いこだわりを持っていたと伝えられており、粗末な食料は食べず、当時の世情からするとなかなかのグルメだった一面もあるようです。

孔子の生涯

孔子の出征は、魯国(現在の山東省曲阜)とされています。父は弱小勢力に仕えた軍人で、母は巫女であったと伝えられ、比較的身分の低い家に育ったようです。
孔子は3歳の時に父を無くし、17歳の時に母を無くしますが、勤勉に励み、礼学(いわゆる当時のマナー)を修めます。のちに弟子の子貢の伝えるところによれば、特定の学校で学んだわけではなく独学であったともされています。
19歳に結婚、翌年に子供を授かり、28歳までに魯に仕官しています。魯では倉庫や牧場を管理する仕事に従事し、このころに初めての弟子をとった記録が残されています。
36歳になると、クーデターが失敗し斉へと追放された主君を追って孔子も斉へと亡命します。その後再び魯に戻ってからは、長く士官することなく、弟子の教育に励むようになりました。
このころに著名になる弟子たち(顔回、子貢、仲弓)などが入門しています。その後何度か国政に取り立てられる機会はあれど実らず、52歳の時に魯の26代君主定公によって中都の長官に任命されます。翌年の催事の際で、敵国の宰相による計略を見破った功績を称えられ、最高裁判官である大司寇と外交官に就任し、数年間務めたのち紀元前497年に退きます。
それから13年の間は弟子たちとともに諸国を転々とし、魯国に帰国したのちは74歳で死去するまで支所などの古典研究に励みました。孔子の死後も、孫の子思によって儒学は伝えられ、性善説を唱えた孟子も弟子入りしています。今回ご紹介する論語は孔子の死後、弟子たちの編纂によって書き上げられました。

論語 全20篇とは

論語は全10巻(上論10篇、下論10篇)に収録されていますが、聖書や物語のように順序どおりに読まなければいけないものではありません。各篇に納められている言葉は孔子の名言であり、どこから読み始めても問題ありません。
ただ注意点としては、論語の言葉は短く断片的であるため、解釈は定まっておらず読者によって様々にできるということです。それゆえに論語を読むということは論語の言葉をきっかけに心に映る己を見て解釈を見つけることと言え、読み手の読み方次第ではなんの役にも立たないこともあり得るかもしれません。

論語の中の名言集

次に論語に書かれた名言の中でも有名な名言集をご紹介します。

巧言令色、鮮なし仁。

言葉巧みに表面上だけ良い格好してとり入ろうとするものは思いやりの心が欠けている。

故きを温めて新しきを知る。

歴史や古典から昔のことを研究し、そこから新しい知を得るということ。温故知新とも呼ばれます。

朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。

志を同じくする友達が遠方より訪ねてきてくれた。なんと楽しいことだろう。予期せぬ友人来訪は喜ばしいといった意味で使われるが、本来は学問をともに志すものはいずれ必ず共に喜びをわかり合える時がくると言いた意味だったようです。

義を見て為ざるは、勇なきなり。

ただしき行いを知りながら、それを行わないものは勇気に欠ける。類語としては見て見ぬ振りをするといったところでしょうか。

十五にして学に志す、三十にして立つ。

15歳で人生の目標を定め、30歳で大成する。この後には「40にして迷わず(四十不惑)」や、「50にして天命を知る(五十致命)」「60にして周りの言うことに耳を傾け(六十耳順)」「70にして自分の思うがままに行動しても人の道を外さなくなった(七十従心)」という言葉も残しています。

これを知る者はこれを好む者に如かず。

ものごとを知っているというものはそれを好きにしているものにおよばない。ものごとの上達には親しむことが大事という意味でしょうか。ちなみにこの言葉には「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」と続き、ものごとの上達には楽しむことが一番なのかもしれませんね。

徳は孤ならず。必ず隣あり。

徳のある人、徳のある行為は孤立せず、必ず追従者や理解者が現れる。少し違うかもしれませんが映画「PAY FORWARD」を思い出します。

民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。

民衆は為政者に従わせるべきで、従う理由をわからせるべきではない。
転じて政治を行う者は、民衆を従わせれば良いのであり、その道理を理解させる必要はないという意味。なかなか恐ろしい言葉ですね。

朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。

朝、人生の心理をわかることができたのなら、夕方に死んでも心残りはない。強い志への思いと、それを成さんと追い求める姿勢が現れている言葉ですね。

未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。

まだ生がなんなのか分からないのに、どうして死を知ることができるのか。
転じて死を考えるよりも、今、生きている間のことを考えることが重要という意味。

過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。

過ちを犯したのにも関わらず改めない。これこそが過ちだ。
ありがたい言葉ですが、親鸞は「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」といっており、スーダラ節では「わかっちゃいるけどやめられない」などと歌われたりもしました。

後世畏るべし。

自分より後に生まれるものははかり知れずおそれなければならない。ちなみにこの言葉にも続きがあり、「焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや」と続きます。つまり若いからといって甘くみてはいけないという戒めですね。

任重くして道遠し。

任された務めは重大であり、行くべき道は遠い。ちなみにこの言葉をもとに徳川家康は「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」と残しています。

子、怪力乱神を語らず。

これは、孔子の言葉ではなく、孔子をたたえた弟子たちの言葉で、「先生は怪力乱神(理の通らないような現象や事象)を語らなかった」という意味です。つまり、そういった言動には注意せよという戒めですね。

まとめ

以上が論語の基礎と名言のご紹介になります。今回ご紹介したものは名文ばかりですが、これらはまだほんの一部です。興味を持っていただけたら、ぜひご自身で読んでみられるのも良いと思います。もしかすると思いかげず日常生活のお悩みの解決に繋がったり、人生の指針になるような言葉を見つけられるかもしれませんね。
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編集者M