シリーズ「わ」のある風景 花ござ職人 椛島一郎さん
シリーズ「わ」のある風景は、「和」の暮らしを大事にする人たちにフォーカスを当て、その方たちの生き方や人生観を”生の声”で語っていただくヒューマンドキュメントです。
花ござ職人
椛島一郎さんが語る、
日本の伝統文化「花ござ」の継承。
シリーズ「わ」のある風景。第2回目の今回は、福岡県柳川市にて花ござの生産を50年にわたり続けていらっしゃる、花ござ職人の椛島一郎さんを取り上げさせていただきます。
半世紀近くの長きにわたり、今も第一戦で活躍する大ベテランの職人の椛島さんに、仕事への想い、日本の伝統文化い草への想いを語って頂きました。
「この仕事、やってみらんか?」

―このお仕事を始められたきっかけを教えていただけますか?
始めたのは高校あがってすぐでしたよ。18歳のとき。元々、親父が畳表の製造をやっていまして。
―最初は畳表の製造のみだったのですね。
そうそう。自分でい草も栽培して、足らん分は買い付けに行って。そんで、高校3年生のある日、親父からこう言われたんですよ。「あのねぇ。」って。
「この仕事も、お前の代まではどうにか大丈夫やろうけん、とりあえずやってみらんか?」って。

そんで私も他の仕事も探してはおったけど、特に何も考えんでテレテレしよったけん、「こっちの方がラクかなぁ〜」っちくらいに思って始めることになりました。それくらいのもんですよ(笑)
冗談を交えながら、当時の思い出を語る椛島さん。 「最初の方はいわゆるお手伝い程度だった」とおっしゃるが、ご自身で現場を切り盛りできるようになったのはいくつくらいの頃からだったのだろう。
やっぱ、親父が引退したくらいの頃でしょうかね。誰でも一緒かもしれんけど、現場に親がいると、いくら仕事を任せるって言われても、やっぱ頼ってしまうところがあるとですよ。

で、親父も、「俺もう引退するよ」って現場に来なくなって、私も気持ち的に、おかしくないように、笑われんように、頑張らないかんってなって。そういうところからでしょうね。
なんの仕事でも、覚えるのには5年10年はかかるやなかですか?意外と技術がいるとよ?ただ切って置いているだけにしか見えんかもしれんけど(笑)
「畳表も今思うと簡単なことのようやけど、当時は難しく感じよったねー。」と語る椛島さん。弛まない努力の日々を、一つ一つの言葉から感じた。
人間と同じように接する

終始にこやかに語っていただく椛島さん。しかし、仕事中の姿や眼差しはまさに真剣そのもの。素早く、そして正確に、い草を選り分けていく。その姿を見て、こんな質問が浮かんだ。
―い草の選別や機械の調子はどのように見分けていらっしゃるのでしょうか?
五感やね。
い草を見るときは、もちろん目が大事。い草を広げて、折れていないか、傷がついていないか、日焼けしていないかをしっかりと見る。
機械の調子を見るときも、機械を見て、触って、音を聞いて、匂いを嗅ぐ。常に機械の調子を感じるようにしとります。
ただ、今が絶対に完成形とは言えんです。ずっと勉強中。だって、機械には全部個性がありますから。
「個性ですか」と少し驚く私に、こう続けてくれた。
そう。なんべん(なんでも)人間と一緒ですよ。機械も若かとき、新しかときは、飛んだり跳ねたり打ったりしても、明日になれば調子は良くなりますけど、おっちゃんくらいの年になるとね、調子が戻らんとですよ(笑)
そういうところをね、人間がマッサージかけたりするのと一緒で、機械も「あんたこの間、ここ怪我しとったもんね。大丈夫かい?痛くないかい?」って診てやったり、油を注してやったりしとります。
何事も、人間と一緒ですよ。人間と同じように扱ってあげたら、長持ち、長生きできると思いますよ。
現場に並べられた織機たちへの、深い愛情を感じる言葉の次に、「まぁ、私自身は不摂生ばってん(笑)」と、またまた冗談を飛ばす椛島さんだった。
父ちゃん、買うてきたばい

次に、仕事を始めたばかりの頃の思い出を伺った。
―お仕事で嬉しかったこと、思い出に残っていることをお聞かせください。
やっぱ、はじめて”い”ば買いに行ったときですね。い草を買い付けに行ったとき。親父から「ちょっと”い”ば、買いに行ってこんか。」って言われて。でも、そげん言われても、何もわからんやんね。物もよく見きれんし、言われた本人はもう、ドキドキやし(笑)
目を細めながら、当時の心境を語る。
まぁ、親父からしてみれば、「失敗してよかけん、ちょっと行ってこい!」っていうことやったんやろうけどね(笑)。
そんで、農家さんとこ行って、「おっちゃん、いば見せてー」って言うても、「この若いもんはなんね?銭持っとるとか?」って見られて、相手にもされんで。
でも、5回目くらいからやったかなぁ。「あんたどこから来たとね?」って聞かれるようになって、「よかたい。そげん一生懸命来るとやったら、いば分けてたるたい」ってい草を分けてもらって。それが、最初の嬉しかったことでしたねぇ。
思い出を語る椛島さんの笑顔から、その当時の嬉しさがひしひしと伝わってくる。
そんで家に帰って、「父ちゃん買うてきたばい!」って。今思うと大したい草じゃなかったやろうけど、親父もそのときは何も文句は言いよらんかったです。「ちゃんと帳面つけとけよー。」くらいは言われましたけど。
千里の道も一歩から。そんな言葉を思い出す、素敵な話を聞かせていただいた。
嘘をつかない

逆に、一番大変だったことはなんでしたかと言う質問には、こんな答えが帰ってきた。
畳表の、外国からの輸入でしたね。30年くらい前だったかな。どこの問屋も外国に工場作って畳表を輸入するようになって。「これからこの業界はどうなってくるんやろうか」って思ったときが、一番大変でしたね。
この時代の大きな変化が、畳表の製造から花ござの製造へと仕事をシフトした大きなきっかけだったと言う。そして、当時の決断を語る。
そんで、「このまま畳表の製造だけ続けていたらどうしようもならん」って思って、花ござの製造をはじめたとですよ。そのときは親父も一緒に仕事しよったけど、「お前、花ござしきるとか?(できるのか)、やり方分かるとか?」って心配はされましたね。
やけん私も、「しきらんもなんも、同じ人間がしよることやけん、どげんかなろうもん!なんとかなろうもん。」って。そんなところからの始まりでしたね。
繊細な柄を表現しなければならない花ござは、織機はもちろん、仕事のやり方全てが畳表のそれとは全く違う。大きな不安を、強い意志で乗り越えようとする。当時の椛島さんの大きな気概を言葉の節々から感じた。
つづけて、こんな質問をさせてもらった。
―お仕事において心がけていることを教えていただけますか?

嘘つかんことやね。騙さない。騙しが通用しない。泥棒しない。人との付き合いでも一緒。
まぁ、自分がこの仕事を始めた頃は、「作れば売れるやろう」っち時代やったとですよ。50%、半分より上の商品を作ればよかろうって。
それがだんだん、安かろう悪かろうではいかんごとなって、50%より上くらいって言いよったのを、中の上くらいにおった方がいいやろうってなってきたとですよ。
そげんなってきて、今はもう、80%以上、90%以上やないと通用せんやろうね。

でも、さっき言ったごと、外国から畳表が入ってきて大変だってなったときも、先輩や友達に色々聞いたりしてなんとか今までやっていきよるけん、そう考える恵まれとったと思う。
とにかく仕事においても、人間関係においても、嘘をつかんこと。それが一番の基本だと思います。
にこやかに閉める椛島さんだった。
父としての背中

椛島さんのご子息である椛島裕喜さんも、若手の花ござ職人として活躍している。親子2代で花ござの製造を続ける椛島さん。裕喜さんへの想いを語っていただいた。
―ご子息の椛島裕喜さんがこのお仕事を継がれることとなったとき、どのように思われましたか?
まず、不安でしたね。
息子がこの仕事を継ぐこととなった20年前、その頃がこの業界の過渡期でもありましたので、大丈夫やろうかと。
畳の需要が減っていくなか、い草の栽培はもちろん、近隣の生産者たちも次々と引退をしていった。そのような時代の大きな流れの中での、裕喜さんの決断。椛島さんは続けてこう語った。

でも、入ってしまったからには自分が持っているものは、教えきれることは教えて、自分が元気な内は教えきれなかったことも伝える事はできるので、あとは自分で判断して行ってもらえば、大丈夫だろうと思っています。
裕喜さんご本人にもお話を伺った。
―このお仕事をお父様から継がれるさい、お父様の椛島一郎さんからはどんな言葉をかけられましたか?

特に何も言われなかったです(笑)背中を見せられていると言う感じです。仕事においても、最初のころは傷の見方などを教えてもらうこともありましたが、特に何かを言われるとうことはなかったですね。
20歳のときにこの仕事を始め、現在20年目になる裕喜さん。お父様の椛島一郎さんからはもちろん、同業の方々からも技術を学ぶなか、「自分はまだまだです。」と謙虚に語る。
父・椛島一郎さんの職人としての姿についても語っていただいた。
―お父様の姿で、印象に残る姿などはございますか?

自分も20年近くこの仕事をしていますが、今でも勝てないなと思うのは、機械の不調が出たときですね。
例えば本来なら赤のい草が飛ばなければいけないときに、黒のい草が飛んでしまう。
そういうとき父は、織られた花ござをパッと見ただけですぐに分かるんですね。自分もちょっと考えたら分かることではあるのですが、気づくスピードが違う。
そういう姿を見たときは、もちろん経験もあるのでしょうが、本当に機械に興味があって、この仕事が好きなんだろうなというのを思い知らされます。
裕喜さんメインの仕事は、一郎さんが織り上げた花ござを磨き上げる「仕上げ」という仕事。 実際の仕事を見た周りの方は、「そこまでするの?!」とよく驚かれるという。
しかし、裕喜さんはこう語る。

自分としては当たり前のことと思って仕上げを行なっています。経験もあると思いますが、昔から、自分の祖父、そして父親のこだわりを見て、教えてもらっているので、こだわりというよりも当たり前という感覚で行なっています。
椛島さんご一家の職人としての誇りは、今も連綿と受け継がれている。
ずっと勉強中

御年66歳になる椛島さんだが、50年近くの長きにわたってこのお仕事を続けられてきたのには、どんな理由があったのだろうか。一番伺いたかったこの質問に対し、椛島さんは即座にこう答えた。
やっぱ、楽しかですもんね。さっき言ったごと、まだ完成系やない。ずっと勉強中やと。
それと一緒で、機械のトラブルにしても、い草を買うにしても、花ござを織るにしても、毎日「えぇー、こんな事があるとたい。」と思うような新しい驚きがまだたくさんあります。
「へぇ、この歳になってもこんなこと初めてやったぁ」と思うようなことがありますから、そういう意味では楽しいことだと思います。

私生活ではお孫さんが7人もいらっしゃるようで、「可愛いのはもちろんやけど、その中でもいろんな発見があるから、仕事でも私生活でも楽しいです。」と、満面の笑みで語ってくれた。
好奇心。
目の前の物事を楽しむこの心持ちこそが、椛島さんの一番の原動力であり、何よりもその謙虚なお人柄が、50年近くの長きにわたり、第一線で活躍できる所以なのかと、私自身、襟を正される思いだった。
頑張って残していかないかん

インタビューもそろそろ大詰めとなったとき、椛島さんから「そういえばね。」と、とあるエピソードを語っていただいた。ある販売店のバイヤーさんが、椛島さんの現場に来られたときの話だという。
ついこの間、とあるお店のバイヤーさんがうちの現場に来られたとですよ。そしたら、そのバイヤーさんが言うんですね。
「自分たちのお店でも、花ござを売らせてもらってます。ただ、なかなか伸び悩んでいます。」と。
で、「会議のなかでも、若い子たちのなかには『(販売を)辞めたら?』って言う子もいます。」と。
そしたらですね、そのバイヤーさんがこう言ったらしいとですよ。

「辞めたらって…これは日本の文化ぞ!」って、「頑張って残していかないかんとぞ!」って。それで私の現場に来たと。
「生産者の苦労とか、こう言う想いを持って花ござを作られとるとぞって言うのを伝えたいから、話を伺いたい。」って。
その言葉を聞いて、ほんと雷に打たれたごとなりましたね。感動したというか、感銘を受けたというか。
続けて、こう語った。
い草も、匂いを消してくれるとか湿度を調整してくれるとか、そういう機能性はもちろん素晴らしいけど、天然素材であそこまで綺麗に織れる織物は他にはないと思うんよね。本当に綺麗。

それに、歴史的に見ても鎌倉時代から畳はあるって言われておるけど、良いものだからこそこれほどまでに続いているって思いますよ。悪いもんやったら、ここまで続いておらんでしょう?(笑)
そう問いかけると、最後ににっこりと笑って、こうおっしゃった。
だから、畳とかい草製品っていうのは、継承・受け継いでいかないかんって思いますよ。さっき言ったごと、「日本の文化を残していかないかん。」そのような思いで頑張ります。
ー私たちも頑張ります!貴重なお話をありがとうございました。
こちらこそ。ありがとうございます。
2021年6月18日収録
編集後記
日本人としての矜持

1時間以上にわたり、インタビューに応えてくれた椛島さん。終始にこやかに、そして穏やかに、仕事への想いや、い草への想いを語っていただいた。
自らを「わさもん好き(新しいもの好き)」と表現したその言葉に、何事をも楽しんで生きていく、人としての大事なあり方を教えてもらった気がした。
鋭い目つきで威風堂々と佇む裕喜さんと、余裕を感じさせる佇まいのなかにも、圧倒的な貫禄を感じさせる一郎さん。「日本の文化を継承していかなければならない」というお二人の言葉に、日本人としての矜持を強く感じさせられた。
| 収録日 | 2021年6月18日 |
| 収録場所 | 福岡県柳川市 |
| 取材・撮影 | 伊東朋宏 |
| 企画 | イケヒコ・コーポレーション |
ご覧いただき、ありがとうございました。
株式会社イケヒコ・コーポレーション
ガチャンガチャンという織機(い草を織る機械)の音が鳴り響くなか、束になったい草を脇に挟み、真剣な表情で草の一本一本を見つめている椛島さん。
緊張感あふれる現場の空気に圧倒されながら、「本日はよろしくお願いします。」と挨拶をすると、「大変ねぇ〜。」とにっこりとした笑顔を見せてくれた。
織機の前に座っていただき、いざインタビュースタート。簡単な自己紹介を終えて早速最初の質問をさせていただいた。