富山県を代表する行事「おわら風の盆」の歴史とその由来

富山県を代表する行事「おわら風の盆」の歴史とその由来
「おわら風の盆」は、毎年9月1日~9月3日にかけて開催される富山県の伝統行事です。 男女の踊り手が編み笠をかぶって優雅に踊る姿は、メディアでも取り上げられるほど知名度があります。

この記事では、おわら風の盆の特徴、そしてこの行事の歴史について詳しく解説しています。 イベントに興味がある、富山県の面白いイベントを探しているという人向けに分かりやすく解説しているので、ぜひチェックしてみてください。

おわら風の盆とは?

おわら風の盆とは?
富山県の伝統行事「おわら風の盆」、これはどのような行事なのでしょうか。 ここでは、おわら風の盆の特徴について解説します。

この行事は、古き良き町並みを残す富山県富山市八尾地区で開催されています。 坂の多い町の道筋を編み笠を被った男女が、三味線や太鼓、胡弓の音に合わせてゆったりと踊り、町を練り歩く。 踊り手が移動する道筋には無数のぼんぼりが並べられ、優美な雰囲気のなか開催される伝統行事として人気を集めています。

また、2006年には「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選ばれるなど、長い歴史により、その知名度が全国に広がっていきました。 毎年25万人前後の見物客が全国から富山県を訪問するため、おわら風の盆が開催される3日間は八尾地区が活気にあふれます。

おわらの踊り

「おわら風の盆」のなかでも特に有名なのが、おわら踊りです。 おわら踊りとは、編み笠をかぶった男女の踊り手が披露する踊りであり、踊りの種類は多岐にわたります。
  • • 町流し:おわら踊り古来からある踊りであり、町を練り歩く際に踊られる
  • • 輪踊り:地方を中心として、踊り手側を作って披露する踊り
  • • 舞台踊り:各町で異なるオリジナリティある踊りであり、八尾地区の各地にに設置された特設ステージで披露される
  • • 豊年踊り(旧):老若男女を問わず大勢で楽しむ踊り
  • • 豊年踊り(新):男性は「男踊り」、女性は「女踊り」を行い、それぞれ異なる踊りを披露する
踊りを披露する場所、参加団体ごとに少しずつ踊りが異なることも含め、八尾地区周辺を巡りたくなる風の盆、3日間のお祭りで別々の踊りを眺めるのも魅力的です。

「おわら風の盆」は11団体によって構成

おわら風の盆は、八尾地区で行われるイベントであることから、複数の町が協力して行事を管理しています。 その協力数はなんと11団体。

次に示す11の町によって構成された「富山県民謡越中おわら保存会」によって、形を変えることなく行事が開催できています。
  • • 東町
  • • 西町
  • • 今町
  • • 上新町
  • • 鏡町
  • • 下新町
  • • 諏訪町
  • • 西新町
  • • 東新町
  • • 天満町
  • • 福島(級町内外から移り住んだ人たち)
過去に開催された「おわら風の盆」の中で中止されたのは、第二次世界大戦とコロナウイルスまん延の時期だけ。 現在では、休止期間も解消され、例年と同じように風の盆を楽しめます。

おわら風の盆の歴史とその由来

おわら風の盆の歴史とその由来
おわら風の盆に関する文献はほとんど残っておらず、語り継がれてきた歴史、そして残っていた文献から読み解かれています。 ここでは、おわら風の盆のもつ歴史と、名前の由来についてご紹介します。

詳しい歴史は「おわら風の盆の公式HP」でもチェックできます。

歴史

おわら風の盆は、江戸時代の元禄に生まれました。 事の発端は、夏に嵐による不作を避けたいという願い、そして「町建御墨付文書」というまちづくりの許可証を手に入れたことの喜びにより三日三晩踊り明かされたことが起源だと言われています。

この「町建御墨付文書」がおわら風の盆のキーです。 当時、米屋少兵衛という人物がその地方を仕切っていた加賀藩から「町建御墨付文書」を取得し、八尾という町をつくりました。 しかし、景気の悪化に伴い、米屋少兵衛が営んでいた銀行業への貸し倒れが増加し、米屋少兵衛は「町建御墨付文書」を持って逃走します。

「町建御墨付文書」は数十年も返還されることがなかったのですが、八尾の町民の手によってこっそりと書類が盗み出され、無事、八尾地区に戻ってきました。 おわら風の盆は、これを祝うために始まったのだと言われています。

名前の由来

「おわら」という名前の由来は、喜びをあらわす「大笑い」と豊作を祈る「大藁(おおわら)」から来ているという説があります。

「風の盆」の由来は、台風到来の季節であることが関係します。 二百十日の嵐によって9月の不作が起きていた江戸時代には、全国各地で豊作祈願のための行事が登場しています。 また富山県の地元では休みのことを盆と言い、休日の行事ということから、その名が付けられたのではないかという説もあるようです。

現代までの育み

おわら夏の盆は、江戸時代の元禄に登場して以来、数百年も続く伝統行事です。

当初はただ踊り明かす賑わいの行事でしたが、大正9年に「おわら研究会」という団体ができ、観光目的のイベントとして発展していきました。 また、昭和4年には「越中八尾民謡おわら保存会」が結成され、全国の文化人が集い、おわら風の盆の規模が大きくなっていきます。

それから少しずつ踊りのバリエーションや型が増えていき、現代のような優美な踊りが完成しました。 長い時間をかけて育まれてきた行事だからこそ、今後も継承していきたいという強い願いを持っています。

おわら風の盆のスケジュール

おわら風の盆のスケジュール
おわら風の盆は、9月1日~9月3日の合計3日間で開催される夏のイベントです。 この行事には、前夜祭、本祭があり、開催日によって少しずつ内容が異なります。

おわら風の盆を訪問する予定があるのなら、どのタイミングに行事を見に行くのがベストなのかチェックしてみてください。

前夜祭

おわら風の盆の開催日である9月1日よりも前日の「8月20日~8月30日(合計11日間)」には、前夜祭が開催されます。

前夜祭は18:30より開催され、時間帯によって開催場所などが異なります。
  • • 18:30~20:00:「八尾観光会館」で上映会、踊り方教室、鑑賞会が開催
  • • 20:00~22:00:各地区の交代制で町内で町流し、輪踊り、舞台踊りが開催
また、前夜祭の最終日には13:00~16:00にかけて「のど自慢大会」が開催されるなど、本番に向けた練習を兼ねたお祭りとなります。

本祭(9/1~9/2)

9月1日と9月2日は、15:00~23:00にかけて町流し・輪踊りが交代制で休みなく開催されます。 このうち、19:00~20:35には、八尾小学校グラウンドをステージとして各町の踊り手が集まり、演武会が開催されます。

本祭(9/3)

最終日である9月3日には、19:00から町流し・輪踊りが開催されます。 最終日は基本的に町流し・輪踊りが開催されますが、開催年によっては演武会が開催される年があるなど、年によって異なる動きが特徴的です。

また、9月4日には、越中八尾駅のホームに踊り手が集まり、始発列車に乗った乗客を踊りで見送る「見送りおわら」が行われるなど、訪問客を楽しませるイベントが目白押しです。

まとめ

以上、富山県の伝統行事である「おわら風の盆」の特徴や歴史、由来についてご紹介しました。

毎年25万人前後の訪問者数を誇る富山県の一大イベント。 開催される3日間はかなり街が活気づき、歩くのもままならないほどの人が集まります。

江戸時代から育まれてきた面白い行事ですので、この機会に「おわら風の盆」に参加してみてはどうでしょうか。
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