夏目漱石の小説でも描かれている「二百十日」が指す意味とは?

夏目漱石の小説でも描かれている「二百十日」が指す意味とは?
「吾輩は猫である」「こころ」「坊ちゃん」等で有名な「夏目漱石」は近代日本文学を切り開いた文豪の一人です。 日本の千円紙幣の肖像にもなった夏目漱石が描く作品は、どれも美しい言葉で彩られた物語ばかりなのですが、その小説のひとつに独特な面白さを持つことに対し、語られることが少ない夏至に発生する嵐を題材とした「二百十日」という作品があります。 じつは、この作品で登場する「二百十日」と呼ばれる嵐は、小説内の創作の嵐ではなく、実際に発生する嵐なのです。

この記事では、二百十日という日付が表す意味と、中編小説「二百十日」の簡単なあらすじについて詳しく解説しています。

二百十日、そして夏目漱石の作品について深く理解したいという方は、ぜひチェックしてみてください。

二百十日(にひゃくとおか)とは?

二百十日(にひゃくとおか)とは?
「二百十日」という嵐は、夏目漱石の小説に登場する「オリジナルの嵐の名称」ではなく、実際に起こる嵐のことを指します。

二百十日という名前は、日本の暦用語の雑節に記されています。 日本では元来、気候の変化を数字で表すことが多く、立春を起点として「八十八夜(立春より88日後)」「冬の土用(立春直前の18日間)」などがあります。 二百十日は、その内のひとつとして昔から語り継がれている雑節なのです。

「二百十日」は、嵐がやってくる時期が稲の開花と被ることもあって、農家への甚大な被害を与える不吉な嵐として名付けられました。

また、海に出る漁師も同様に嵐の被害を受けます。 当時は天気予報の精度が低く、嵐の影響を受ける漁師も多かったと言われています。 「二百十日」の嵐を受けて、実際に死者が出ていたことも含めて、自然を相手にする第一次産業に関わる人たちの厄日として意味づけられているのです。

二百十日(にひゃくとおか)はいつのこと?

二百十日(にひゃくとおか)はいつのこと?
二百十日とは、立春(2月上旬)より210日目(立春当日より209日後)の日付である「9月1日頃」のことを指します。

夏の終わりであるこの時期は、太平洋の高気圧の変化を受けて、日本に台風が流れ込みやすい季節となります。

近年の気候変動や自然環境の変化の影響もあり、中には甚大な被害をもたらす場合が多いので、現代でも日本全国で注意が呼びかけられています。

二百二十日にも台風がやってくる

9月に発生する台風は9月1日頃に集中しますが、それから10日後の9月10日頃にも第2波となる「二百二十日」という大きな台風がやってくると言われています。

気候変動が多い日本には、独特で記憶に残る名前の日付が複数あります。 とくに嵐といった自然災害に対しては、必ず名前が付いているので、気候に関する言葉を調べてみてはどうでしょうか。

農家三大厄日として有名な嵐

気候変動の多い夏という時期には、複数の嵐がやってきます。 その中でも「二百十日」「二百二十日」「八朔(はっさく)」は「農家三大厄日」として有名です。

八朔とは、旧暦8月1日に起きる嵐のことであり、新暦で言う8月下旬~9月下旬にかけて発生します。 同じ時期に複数の嵐がやってくるので、当時から現代にかけて、数ある名称が付けられました。

夏目漱石の小説「二百十日」

夏目漱石の小説「二百十日」
実際に起きる「二百十日」という嵐を題材に、夏目漱石は1906年(明治39年)に「中央公論」という雑誌で、同名の「二百十日」という小説を発表しました。

小説の概要は次の通りです。
※ネタバレ注意

阿蘇山を舞台に、登山する「圭さん」「碌さん」という2人の登場人物の会話によってストーリーが進む一風変わった小説。

物語の中では、阿蘇の各地を巡りながら、圭さんのもつ正義感を通して華族(当時の侯爵)や金持ちに対する想いが語られていきます。 そして、いよいよ登山を開始しようとすると「二百十日」の嵐に出くわし、道に迷ってしまう。

長いこと道に迷った末、阿蘇山登頂という目的を果たすことができませんでした。 2人は宿場町へ戻り、再度阿蘇山の登頂を目指すこと、そして華族や金持ちを打ち倒すことを誓います。

そんな正義感を思わせる小説となっています。

夏目漱石の実体験が小説になった作品

夏目漱石は、小説家の他にも評論家、英文学者、俳人など数ある歴史的財産を生み出しています。 そのうち、1899年の時期には教師を務めていました。

二百十日は、その教師時代の実体験をもとにした小説であり、作中で登場する「圭さん=夏目漱石」「碌さん=夏目漱石の同僚(名を、山川信次郎)」が阿蘇巡りと登山体験をする経験をそのまま小説にしてあります。

2人の阿蘇巡りは1899年の8月29日〜9月2日にかけて行われ、阿蘇山登頂を目指したのは9月1日、宿場町で打ち倒すことを決意したのは9月2日となっています。

夏目漱石は実際に「二百十日」の嵐に合い、そのすさまじさから得た感情や景色が、作中の文章で表現されています。

「二百十日」と関係するイベント

「二百十日」と関係するイベント
9月を中心に発生する嵐。 当時は気象予報の精度が低かったこともあり、農家や漁業関係者は毎年のように被害を受けていました。

その影響もあって、すさまじい風を鎮めて豊作・大漁を祈るイベントが各地で開催されています。

風祭(かざまつり)

「農家三大厄日」の前後の時期に行われる祈願形式のイベントです。 当時は村人が神社にこもって祈祷したり、獅子舞や祭りばやしで無事を祈るなど、地域によって納めるもの、祈祷の仕方が少しずつ変化します。

全国各地には、風神宮と呼ばれる小詞(しょうし)をまつる場所が各所に置かれ、富山県の「ふかぬ堂」などが有名です。

中には、まじないの効果を期待し「風切り鎌」などが奉納されたと言われています。

風鎮祭(ふうちんさい)

兵庫県の伊和神社、熊本県の高森阿蘇神社など日本各地で開催される風祭です。 二百十日の7日前に神社で祈祷が行われることが多く、日本の伝統文化に合わせて、風鎮サンバや音頭に合わせて町民で踊ったり、にぎやかな行事として有名です。

中には出店を出して夏祭りのように開催されるイベントも多くあるようです。

おわら風の盆

富山県の八尾地方で開催される風祭です。 毎年9月1日~9月3日にかけて開催され、藁を編んで作った被り物と着物に身を包んだ男女が「女踊り」「男踊り」を行いながら町を練り歩くという行事です。

おわら風の盆の踊りの際には、三味線や太鼓が鳴り響き、町を活気づかせる雰囲気が3日間続きます。

富山県の尾張町に残る和風建築物が、より雰囲気を掻き立ててくれるため、日本伝統祭りとして広い地域に知れ渡っているイベントです。

まとめ

以上、日本の台風の時期を意味する「二百十日」の意味や時期、そして「二百十日」を題材にした夏目漱石の作品についてご紹介しました。

農業や漁業といった第一次産業と深いかかわりを持つ農家三大厄日のひとつの「二百十日」は、気象予報が発達していない時期に名づけられた日付です。現代でも数多くのイベントが開催されているので、中には知らず知らずのうちにイベントに参加しているのかもしれません。

夏目漱石の作品を読むことによって、当時の風景や台風による心情を学ぶこともできるので、この機会に夏目漱石の文学小説に触れてみてはどうでしょうか。
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