香木をたいてその香りを鑑賞したり、香で表現したものを理解して楽しんだりする芸道の一つ、「香道(こうどう)」。
香道は仏教伝来とともにもたらされ、東南アジア原産の香木を用いて行います。王朝文化、武家文化、仏教文化など歴史上のそれぞれの世界で尊ばれ、能楽や茶道などその他の芸道と並ぶ芸道として発展してきました。その心技は現代にまで長く途切れることなく伝えられており、源流を遡ると大きく二つの流派へと行き着きます。
本記事ではそんな香道の二大源流と、派生したその他の流派の例を解説します。
目次
香道の流派は大きく分けて二派
香道の流派には「御家流(おいえりゅう)」と「志野流(しのりゅう)」という、二大源流があります。 「流派」とは芸道や武道における伝統的なスタイルを分類したもので、同じ分野でも技法や体系、思想などから雰囲気が異なることが多いです。香道においても同じことが言え、それぞれに特徴と魅力があります。以下にその概要を見てみましょう。
御家流
御家流は室町時代、15世紀半ばから16世紀前半にかけての公卿である「三条西実隆(さんじょうにしさねたか)」を開祖とする流派です。実隆は三代の天皇に仕え、足利将軍家とも親交のある一流の文化人でした。能書家としても知られる上、古今和歌集の秘伝解釈である古今伝授を受けるなど各種の芸道や教えに精通し、茶の湯に至っては武野紹鴎の師でもあります。
このことから、御家流は中世の貴族文化に多大な影響を与えたといえる人物が創ったものであると言えます。 また御家流は「公家の香道」とも例えられ、お香の持つ香りを楽しむことと、それを通じて雅な遊び心を育むことに重きを置いているといえます。
このことから、御家流は中世の貴族文化に多大な影響を与えたといえる人物が創ったものであると言えます。 また御家流は「公家の香道」とも例えられ、お香の持つ香りを楽しむことと、それを通じて雅な遊び心を育むことに重きを置いているといえます。
志野流
一方の志野流の創始者は、御家流の三條西実隆と同時代人の「志野宗信(しのそうしん)」という人物です。宗信は室町幕府の八代将軍・足利義政に側近として仕えた人物で、「同朋衆(どうぼうしゅう)」という芸能などに秀でた職能集団に属していました。
志野流では作法や形を修めていく過程で心の鍛錬を目指す、精神修養としての側面が強いのが特徴です。こちらは「武家の香道」とも例えられ、質実剛健なスタイルで知られています。
御家流と志野流の違い
御家流と志野流とは、もともとは同じ香道だったのですが、現代ではさまざまな違いがあります。 「楽しむ」御家流と「修練」の志野流というスタンスは先に述べましたが、それぞれが持ついわば「公家らしさ」と「武家らしさ」は用いる道具にも表れています。
例えば、香を焚く「聞香炉(もんこうろ)」は御家流では青磁・白磁・染付、または蒔絵を施した漆塗りの道具を使うのが普通です。一方の志野流では、白釉という優しい白い色が特徴的な素朴でやわらかい色合いの志野焼をよく用います。志野焼は美濃窯の代表的な焼物の一つで、茶道の茶碗としても有名です。 道具箱などの木製品も、御家流はきらびやかな塗物を多用するのに対して、志野流では白木の木地肌のものを尊びます。前者は王朝文化の伝統を思わせる雅な風情があり、後者はわびさびを重んじる静かで安らかな佇まいがあるとも言い換えられるでしょう。
またお香の香りも両方で違いがあります。香道では香木を六つの産地に分類し、その香りを五種の味覚になぞらえて表現し、これを「六国五味(りっこくごみ)」といいます。 六国は「伽羅(きゃら)」「羅国(らこく)」「真南蛮(まなばん)」「真奈伽(まなか)」「佐曽羅(さそら)」「寸門多羅(すもたら)」の六種。五味とは「甘(かん)」「苦(く)」「辛(しん)」「酸(さん)」「鹹(かん:塩辛い)」の五種です。
このうち御家流では「羅国」の香りを「甘」と表しますが、志野流では同じものを「辛」と分類しています。他にも多くの違いがありますが、御家流も志野流もそれぞれに独自の風格があり、同じ香道でもその雰囲気が随分と異なる点もまた大きな魅力といえるでしょう。
その他の香道流派・団体
他の芸道や武道(武術)に比べて、香道の流派というのは決して多くありません。その理由は後述しますが、以下に御家流と志野流以外の香道流派の例を挙げてみました。
風早流
風早流(かざはやりゅう)は江戸時代前期の公卿・風早実種(かざはやさねたね)を開祖とする流派です。実種は千宗旦に茶事を、烏丸光弘に御家流の香道を学びました。風早流は茶と香両方についての実種の流派ですが、大規模な組織となることはありませんでした。
ちなみに開祖の実種はその官位から通称を「三位」といい、最終位は正二位権中納言となっています。
翠風流
翠風流(すいふうりゅう)は柳川藩(現在の福岡県柳川市あたり)に伝承された香道を、江頭環翠(えがしらかんすい)が大正時代に再興した流派です。
和歌や物語をテーマとして数種の香を組み合わせ、その香りを当てる取り組みを「組香(くみこう)」といいますが、翠風流では古来のものに加え新作組香にも力を入れています。また、組香で用いる香の組み合わせを正確に表記する方法を開発した流派としても知られ、2009(平成21)年には一般財団法人香道翠風流が創設されました。
御家流桂雪会
御家流桂雪会は1963(昭和38)年、ホテルオークラ創業者・大久喜七郎の夫人である華桂(かけい)と、英文学者・原田治郎の夫人・聴雪(ちょうせつ)を中心として30名程の香人が集まって発足しました。香道を自由に楽しみ探求することを目標に、権威主義から離れた活動を主眼としています。
桂雪会では流派の香道を本来的には「アマチュアリズム」であると定義し、多くの人にその魅力を発信する取り組みを行っています。 2014(平成24)年、一般社団法人香道御家流桂雪会が設立されました。
桂雪会では流派の香道を本来的には「アマチュアリズム」であると定義し、多くの人にその魅力を発信する取り組みを行っています。 2014(平成24)年、一般社団法人香道御家流桂雪会が設立されました。
平安朝香道
平安朝香道は2005(平成17)年に長谷川景光が創始した、新しい流派です。
この流派ではその名のとおり、平安時代の宮中で楽しまれていた香道の復元と普及をかかげています。
当時の香道については不明な点も多く、開祖の長谷川景光による研究を経て王朝文化の香をしのぶ取り組みがなされています。
香道の流派が多くない理由は?
書道や茶道など他の芸道に比べると、香道はその流派も愛好者も数の上では多くありません。それには香道の、天然の香木を用いるという特性が大きく影響しています。 香道の香とは主に「沈香(じんこう)」と呼ばれる香木で、特殊な樹脂の分泌によって長い時間をかけて生成される上、熱帯アジア原産で日本では産出しません。 こうした貴重な香は数に限りがあり、それを大切に扱うという意味でも大人数への普及を優先することが困難だったという事情もあります。現在では人工栽培による沈香も存在しますが、天地自然への敬意が香道の根底には流れています。
まとめ
現代社会では「香り」がマナーに関わることであったり、リラクゼーションの一部になっていたりすることから注目が高まっています。フレグランスやアロマなど、西洋的な香りの文化がよく知られますが、日本でも古くから親しまれてきた仏教伝来の香道も、ぜひ体験してみてください。香りを楽しむことはもちろん、天然の香木という自然の恵みに感謝し感覚を研ぎ澄ませて香りを「聞く」という文化は、日本独特の「道」という概念にふさわしい技芸の一つといえます。