シリーズ「くらしの年表」こたつの歴史 第1回
シリーズ「くらしの年表」では、私たちの生活の身近にある「もの」についての歴史を紹介していきます。
連載 こたつの歴史 第1回「我輩はこたつである」

囲炉裏とやぐら
こたつの発祥は、室町時代とされている。囲炉裏の上に小さな台を組んで、その上に衣服を被せて暖を取った事が起源と言われている。

この絵は江戸時代に描かれたものであるが、イメージとしてはこのような感じであろう。
しかし、当時の日本人は、なぜそのような暖の取り方を考えたのか?
そのきっかけの一つとして考えられるのは、当時の日本家屋の特徴である。当時の日本家屋は、言うなれば「冬にやさしくなかった。」のである。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。」
日本三大随筆の一つである「徒然草」に、このような記述がある。
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
引用:徒然草 第五十五段/吉田兼好著
「家の作りは夏を基準とすべきだ。冬はどんな家でも住める。(作りの)悪い家で過ごす夏ほど耐えがたいものはない。」という意味であるが、これを読むだけでも、当時の日本家屋の特徴が見て取れる。

「ジメジメとした暑さをいかに乗り切るか」ということは、当時の日本の家造りにおいて重要であった。つまり、通気性の良い家造りが、日本家屋に一番に求められるべき特徴だったのである。
当時の暖の取り方といえば、せいぜい囲炉裏を炊くぐらいのもである。そうしたところで、通気の良い家では暖かい空気は中にこもらず、部屋の温度も上がらない。冷たい空気は下にいく特性があるため、足元は特に冷える。
そこで、当時の日本人はこう考えたのであろう。
「足元を温めるいい方法はないか?」
つまり、生活の知恵として「こたつ」は考えられたのである。
お座敷の誕生

それまでの日本貴族の住宅様式は、床張り中心の寝殿造が主流だったが、先の室町時代に、現在の和室の原型となる書院造が取って代わられた。

寝殿造において、「畳」は敷き詰めるものというよりも、置くものとして機能していた。いわば権力の象徴として使われていたのである。それが書院造において、敷き詰めるものとして使用用途が変化した。お座敷の誕生である。
産まれるべくして産まれた生活の知恵

床張りの家から畳張りの家へ。複数人が同じ高さの場所に座り、一箇所に集まる余裕ができたからこそ、こたつは産まれたのではないか。こたつの誕生と畳文化の誕生は、その成り立ちからして密接に関わっていたとも考えられるのである。
つまり、こたつというのは日本の生活様式から言って、理に適った、生まれるべくして生まれた、生活の知恵だったのである。
編集後記
今回は、こたつの発祥について解説しました。
ちなみに、こたつという名称の由来は、囲炉裏の上に組んだ小さな台が、牛車の乗り降りの際に使用する踏み台の榻(しじ)に似ているからだとされています。

この榻(しじ)から、こたつのことを「火榻子(かとうし)」と呼ぶようになり、これがなまって「こたつ」となったと言われています。
次回は、こたつの発展についてご紹介致します。ご期待ください。
担当:株式会社イケヒコ・コーポレーション 伊東朋宏