シリーズ「くらしの年表」こたつの歴史 第3回
シリーズ「くらしの年表」では、私たちの生活の身近にある「もの」についての歴史を紹介していきます。
連載 こたつの歴史 第3回「大衆文化は電気こたつの夢を見るか」

連載「こたつの歴史」では、日本の暮らしの代表的アイコンの一つである「こたつ」の歴史について紹介していきます。
第3回目の今回は、明治から大正時代のこたつの発展についてです。(全5回)
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文明開化
明治時代、開国による西洋文化の流入によって都市部の生活様式は劇的な大革命を起こした。「文明開化」である。この頃から、農村地帯の生活様式が江戸時代の町民のそれと同じレベルになったと考えられている。土間中心の生活から畳中心の生活へと変化していったのである。

ただ、全世帯がそのようになったというよりも、憧れの住居として「畳敷の家」が対象になったわけである。当時庶民の間では畳を置くことすら許されていなかった。
ストーブの登場
暖房器具においては、薪や石炭を原料とした置き暖炉「ストーブ」の本格的な輸入や生産が始まった。しかしながら、隙間風の多い日本家屋においては、部屋全体の空気を暖める方式のストーブは効率が悪く、庶民の間では相変わらず火鉢や囲炉裏、こたつが使われていた。

大正時代になると、電気・ガスなどのライフラインの普及により石油ストーブ、ガスストーブ、電気火鉢、電気ストーブなどが誕生した。
電気こたつの登場
こたつにおいては、木製の囲いに火鉢状の熱源を入れたこたつ専用の熱源が誕生。「移動こたつ」と呼ばれ大いに広まり、昭和初期までには電気式の移動こたつ「電気こたつ」が誕生するまでに発展した。


木綿製の布団が一般庶民に広まり始めたのもこの頃である。「電気こたつ」の広告にも、布団と一緒に使用しているシーンが描かれている。

掘りごたつを考えたイギリス人
イギリスの陶芸家バーナード・リーチが東京・上野の自宅に作った掘りごたつが、日本で初めて一般住宅向けに作られた掘りごたつである。

正座が苦手であったため、足を伸ばして座れるこたつはないかと考え作られたもので、後に、小説家の志賀直哉が随筆で紹介したことから庶民の間に広まったと考えられている。
「生活の知恵」から「暖房器具」へ
このように、生活様式の劇的な変化と大衆文化の急速な発展が進むなかで、火鉢とやぐらと布団を使って下半身を暖めるいわば「生活の知恵」としてのこたつが、暖房器具の「こたつ」として、庶民の間に認知されていったわけである。
編集後記
今回は、明治から大正のこたつの発展、庶民への普及について解説しました。
掘りごたつを発明したのがイギリス人だったとは、意外に思われる方も多いかもしれません。
今回使用したバーナードリーチ氏の写真は、写真家の林忠彦さんが撮影したものです。林忠彦さんは、小説家の太宰治の写真を撮影したことでも有名です。

太宰治が写るこの写真は、銀座のバー「ルパン」で撮影されたもの。同席していた織田作之助と坂口安吾を撮影していた林さんに、「おい、俺も撮れよ。織田作ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ。」と太宰が声をかけたことから生まれたと言われています。
2019年には、俳優の小栗旬さんが映画「人間失格ー太宰治と3人の女たちー」に太宰治役として出演された際、この写真を再現したことでも話題となりました。
ちなみに、写真の舞台となったバー「ルパン」は、現在も当時の姿を残して営業中。私も数年前に来店したときは、林さんが太宰治を撮影したとされる場所(なんとトイレ!)に立って、「ここに太宰がいたんだなぁ〜」と感慨深い思いに浸りました。
次回は、戦前のこたつについてご紹介致します。ご期待ください。
担当:株式会社イケヒコ・コーポレーション 伊東朋宏