【日本が誇る伝統工芸】七宝焼の歴史・種類や作り方について

七宝焼とは

七宝焼とは
広義の七宝焼きは金属とガラスからなる工芸技法のことを指し、これは伝統工芸技法として認定されています。また狭義では愛知県あま市および名古屋市周辺の七宝焼きのことを指しこちらは「尾張七宝」として経済産業省指定の伝統工芸品とされています。 具体的な概要としては、金・銀・銅・青銅・鉄などの金属素地に釉薬を焼成することでそれを融かし彩色します。発色が美しく、特に1800年代末期〜1900年代初頭、日本の七宝焼きは世界最高峰とされ、輸入が盛んに行われるなど最盛期を迎えました。 七宝と呼ばれる由縁は仏教の経典において貴重とされる七つの宝(金・銀・瑠璃・玻璃・しゃこ貝・珊瑚・瑪瑙)から名付けられたとされています。

七宝焼の歴史

七宝焼の歴史
世界的に見ると、古くは紀元前の頃とされる七宝の遺物がヨーロッパでは出土しており、元々の起源は古代エジプトとされています。そこから中近東、シルクロードを経て中国に入った後、日本に伝わったとされていますが、今回は特に国内における七宝焼の歴史についてご紹介したいと思います。

黎明期

日本にいつ、伝わったのかははっきりしていませんが、初めは中国製の七宝を輸入し、その後に作られるようになったのではないかとされています。現在国内最古の七宝の記録とされているものは、奈良時代に造営された古墳から出土した銅製の「七宝亀甲型金具(乾漆棺の一部と考えられている)」が知られています。次に古いとされているものは正倉院唯一七宝遺物の「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)」とされていますが、こちらは具体的な文献なども見つかっておらず、国内生産品というよりも、7〜8世紀ごろに輸入されたものと考えられているようです。

近世七宝

次に日本製の七宝が見つかるのは室町から桃山にかけての時代の遺物です。室町までの間国内での生産は行われていなかったか、あるいはかなり小規模でひっそりと行われていたのではないかとされています。ただし七宝自体は非常に珍重されており、中国を中心に輸入されていた記録があります。桃山以降〜明治まで、中国や朝鮮半島から再度もたらされた七宝技術が伝播し国内での七宝製作が盛んになります。中でも著名な七宝師として、桃山〜江戸時代に活躍した「嘉長(かちょう)」、京都の金工師「平田道仁」、江戸初期に九州で活躍した「平田彦三」、江戸中期、7代続いた「高槻七宝」などが知られています。

近代七宝

近代七宝の祖とされるのは、オランダ製の七宝を独自に研究した江戸後期の尾張藩師「梶常吉」です。これ以降尾張では七宝が盛んに作られるようになり、その技術は京都、神奈川、東京などへ伝播していきました。 明治に入ると万国博覧会をきっかけに、政府の支援のもと盛んに海外に輸出することになり、その流れは欧州を中心としたジャポニズムブームの一角を担いました。また明治以前の七宝は釉薬の光沢がほとんどない「泥七宝」が主流でしたが、この流れに後押しされ透明度の高い釉薬の開発や、有線七宝を基本とした新しい技法の誕生へと続きました。ちなみに現在行われている七宝の技術の全てがこの時期に確立しています。 昭和に入ると2回にわたる戦争の影響を受け、需要がなくなり多くの七宝業者が廃業します。しかしバッジ製造などの量産製の七宝などで一時期は再盛しますが、それも合成樹脂製の普及に伴って徐々に需要がなくなっていきました。

七宝焼き 作り方

七宝焼き 作り方
次に実際にどうやって七宝焼が作られるのか手順をご紹介します。
  • 1.素地作り・・・ベースとなる金属(銅・銀など)を成形します。成形には金型を使うプレス加工、木槌による打ち出しなどの方法を使い分けます。
  • 2.絵付けと線付け・・・墨などを使って素地に模様のあたりをつけ、有線七宝の場合は素地に銀などを使って釉薬を入れるための輪郭線を施します。
  • 3.釉薬を入れる・・・粒子状に砕いた彩色ガラスを水や糊などに溶き図案や銀線に施します。
  • 4.焼成 800〜900度程度の炉に入れて焼成します。技法によっては数回焼成を繰り返すこともあります。
  • 5.研磨・・・ダイヤモンドペーパーやヤスリなどを使って目に見えないレベルの細かい傷をつけることによって艶のある表面に仕上げます。

七宝焼の技法

七宝焼の技法
手順に続き、七宝焼の技法についてご紹介します。

無線七宝

釉薬の間に仕切りをつけない技法です。中でもあらかじめあたりをつけるための植線をひき、焼く前に抜き取る「抜き針」という技法と、西洋で行われるシャンルベやペイント技法などの単に植線を用いない技法があります。

有線七宝

銀などの金属線で輪郭を施しそこに釉薬を入れる技法です。

象嵌七宝

ベースとなる素地を凹ましたり彫ったり窪ませてそこに七宝を施す技法です。

琺瑯

中国では七宝と同意で使われますが、国内においては鉄を素地とする主に日用品などの製品を琺瑯と呼び七宝は主に工芸品や美術品として区別されているようです。

産地ごとの違い

産地ごとの違い
次に国内において七宝を現在も作り続けられている産地ごとの特色に触れたいと思います。

尾張七宝

主に愛知県あま七宝町や名古屋市、清須市などで作られる七宝で、花鳥風月などの図案や、風景などの華やかなモチーフと、銀線を使った有線七宝の技法が知られています。平成7年に国の経済産業省指定の伝統的工芸品指定を認定されており、国内の七宝焼では尾張七宝のみが認められています。尾張七宝の始まりは前述の梶常吉とされており、現在、同地区の七宝組合には11件の製造者が登録されており、その内の加藤湿布製作所の2代目加藤勝己さんと3代目の加藤芳郎さんは尾張七宝初の伝統工芸師に認定されています。

尾張七宝の特徴

尾張七宝の特徴は銅あるいは銀を素地としその上に、銀線などを使った植線を引き、そこに硅石、鉛丹、硝石などを使った釉薬を施すことで、釉薬の色が混ざらずに焼き上げることです。また尾張七宝で使われる釉薬の中では透明感のある赤色の「赤透」が知られています。

東京七宝

東京七宝は前述の平田道仁を祖とする七宝焼きで、現在では東京と台東区、荒川区、北区などを中心に作られており、東京都の伝統工芸品指定を受けています。基本的に素地や釉薬などは尾張七宝と同様のものを使用するようですが、歴史的な経緯も相まって品類としては校章や記章、タイピンやカフスボタン、ピアスやペンダントなどで知られています。

東京七宝の特徴

別名でメタル七宝とも呼ばれる東京七宝の特徴は、勲章製造の実績を礎にした細かい図案と、透明感のある色にあるといわれています。刀の鍔飾りや、旭日章などをベースに現在はハイブランドとのコラボによるアクセサリー類などより繊細な技が目を惹きます。 また東京七宝では他の七宝焼のように裏引きを行わない点も特徴として挙げられます。裏引きは焼成後に地金から釉薬が剥がれてしまうのを防ぐ目的で施される技法ですが、有線七宝で裏引きを行うには、溝を深くしなければいけないため、発色が悪くなってしまったり、気泡や割れやすくなるといった短所もあるそうです。

まとめ

以上が七宝焼に関するご紹介記事になります。古くから愛されてきたものであることがお分かりいただけたところで、普段の生活の彩りに尾張七宝に代表される花瓶などの大物や、あるいは記念日や誕生日などの贈り物に宝石のような東京七宝のアクセサリーを贈られても喜ばれるのではないでしょうか。また今回ご紹介できなかった七宝焼の中にはDIYでもできるような簡易的なものや、実際に教室などで学べる七宝焼もあるので、興味がある方はぜひチャレンジしていただければと思います。

七宝焼の最新記事8件

無効化する