目次
相撲(SUMO)の歴史
相撲の歴史は非常に古く、日本における最古の記録は「古事記」の説話に神々の争いのシーンとして残っています。
また人間同士による相撲の起源とされているのは、古墳時代の豪族「野見宿禰(のみのすくね)」と「当麻蹴速(たいまのけはや)」の戦いです。
ちなみにこの両者は相撲の始祖として祭られてもいます。
また同じく古事記の垂仁記には文献上で初めて「力士」が使われており、さらに後の日本書紀の一部には「相撲」という言葉を見つけることができます。
奈良・平安時代になると、宮中行事として相撲節会が毎年7月ごろに行われるようになり、会を重ねることで次第に重要な行事として催されるようになりました。 鎌倉時代になると、武家の鍛錬として武士達の間で広まり、室町時代には京都から地方へ民衆の間でも広がっていき、相撲を生業とするものも登場します。 江戸時代になると相撲は興行として民衆に広がり、大名お抱えの力士なども登場します。 また江戸の最盛期には女性や盲人による見世物的な相撲も盛況を見せました。 中期から後期には11代将軍の徳川家斉の時代には将軍の前で行う「上覧相撲」が盛んになり、雷電為右衛門や小野川喜三郎などの後に語り継がれるスター力士も誕生しました。 明治時代になると相撲協会が誕生し、勧進相撲が大相撲となって現在に至ります。
奈良・平安時代になると、宮中行事として相撲節会が毎年7月ごろに行われるようになり、会を重ねることで次第に重要な行事として催されるようになりました。 鎌倉時代になると、武家の鍛錬として武士達の間で広まり、室町時代には京都から地方へ民衆の間でも広がっていき、相撲を生業とするものも登場します。 江戸時代になると相撲は興行として民衆に広がり、大名お抱えの力士なども登場します。 また江戸の最盛期には女性や盲人による見世物的な相撲も盛況を見せました。 中期から後期には11代将軍の徳川家斉の時代には将軍の前で行う「上覧相撲」が盛んになり、雷電為右衛門や小野川喜三郎などの後に語り継がれるスター力士も誕生しました。 明治時代になると相撲協会が誕生し、勧進相撲が大相撲となって現在に至ります。
相撲の決まり手
相撲の勝敗がどんな技で決まったかを決まり手と呼びます。
基本的には投げ・掛け・反り・捻りによる技のいずれかになり、かつては四十八手と言われました。
しかし、現在の相撲協会が定める決まり手は82の技名と5つの決まり手の87種に分類されています。
また決まり手の一方で、行為を禁止する「禁じ手」も定められており、握り拳で殴ることや、髷をつかむこと、急所への攻撃、蹴り、などの危険行為を行った場合は反則負けになります。
また決まり手の一方で、行為を禁止する「禁じ手」も定められており、握り拳で殴ることや、髷をつかむこと、急所への攻撃、蹴り、などの危険行為を行った場合は反則負けになります。
歴代横綱
大相撲における力士の格付けの最高位が横綱です。
横綱は特定の綱を締めることが許されたり、単に力量のみならず、品格や責務なども求められ、すべての力士の代表者として君臨する存在です。
2022年現在までで73人の横綱が誕生しましたが、その中でも代表的な力士を数名紹介します。
初代 明石志賀之助
出身地が下野国ということ以外はっきりとした記録はなく、実在したかどうかも諸説ありますが、日本相撲協会が初代に認定しています。
4代 谷風梶之助
江戸時代、陸奥国出身の力士で、「仙台の谷風」の異名を持ちます。実質的な初代横綱とされ、63連勝という記録を残しました。
8代 不知火諾右衛門
横綱史上唯一、関脇へ降格した力士です。
28代 大錦大五郎
大正時代、愛知県出身の力士で、歴代最弱横綱と評されることもある横綱です。
48代 大鵬幸喜
北海道出身の力士で、父がウクライナ人、母が日本人。昭和の大横綱と称され、当時の子供達のあいだでは好きな物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が流行しました。
52代 北の富士勝昭
北海道出身。近年のNHK大相撲の解説者としてもお馴染みです。
58代 千代の富士貢
北海道出身の力士で愛称は「ウルフ」。昭和最後の大横綱と称されることもあり、大相撲における連勝記録は歴代3位。
64代 曙太郎
ハワイ出身 初の外国出身横綱。
68代 朝青龍明徳
モンゴル出身の力士として初の横綱です。
69代 白鵬翔
同じくモンゴル出身で2022年現在、大相撲史上最多優勝記録である45回の優勝記録と連勝回数63回の記録を持っています。
73代 照ノ富士春雄
モンゴル出身。2022年6月現在唯一の横綱
大相撲 本場所
大相撲は日本相撲協会が主催する興行で、起源は前述の江戸初期の勧進相撲が転じて大相撲になりました。
本場所とは?
本場所は定期的に行われる大相撲の興行のことです。
本場所は参加する力士にとって日頃の鍛錬の成果や磨いた技量を発揮する機会であり、本場所の取り組み結果によって、番付の昇降や報奨金(給料)が決まる大一番です。
2022年現在本場所は年間で6回場所を変えて行われており、参加する力士は1場所につき連続15日間の取り組みを行います。
また取り組みの1日目は「初日(しょにち)」、折り返しに当たる8日目は「中日(なかび)」、最終日となる15日目は「千秋楽(せんしゅうらく)」と呼ばれます。
年間日程
2022年現在、本場所は年に6回行われ、開催地や日時については以下になります。
- 1月(初場所)東京 両国国技館
- 3月(春場所)大阪 エディオンアリーナ
- 5月(夏場所)東京 両国国技館
- 7月(名古屋場所)愛知 ドルフィンズアリーナ
- 9月(秋場所)東京 両国国技館
- 11月(九州場所)福岡 福岡国際センター
力士になるには?
力士になるためには日本相撲協会が実施する年6回本場所の前に行われる新弟子検査に合格する必要があります。検査基準は下記になります。
- ・23歳未満(一部の条件を満たせば25歳未満まで可能)の義務教育を修了した健康な男子
- ・身長167cm以上、体重67kg以上など
- ・所属したい部屋の師匠となる親方を通じて、日本相撲協会に規定された必要書類と力士検査届を提出し、協会指定の医師による健康診断と新弟子検査に合格すること
新弟子検査を受ける時期については23歳未満で、義務教育を修了していればいつでも可能なため、早ければ中学校卒業からチャレンジすることができます。
また現在力士になるための専門的な学校はありませんが、近年の傾向として、名門相撲部のある高校や大学で実力をつけてから力士になる場合も多く、
残した成績次第ではすぐに幕下からデビューが可能という実例もあります。
このように力士になるためには先天的に適性があることが求められ、誰でもなれるわけではありません。 また、仮に力士になれたとしても、それはあくまでもスタートラインに立てたというだけで、弟子入り後は新弟子として技の鍛錬のみならず、 相撲以外の雑用や料理番、先輩力士の付き人などの労務をこなせなければいけないといった一面もあります。
最後に力士として給料がもらえるのは「十両」以上であり、統計では年間50〜100名ほどの新弟子のうちの5〜10人程度という厳しい世界を勝ち抜く必要があるため、 単に忍耐力や誠実さといった精神面、そして何よりも相撲が大好きであることが求められるでしょう。
このように力士になるためには先天的に適性があることが求められ、誰でもなれるわけではありません。 また、仮に力士になれたとしても、それはあくまでもスタートラインに立てたというだけで、弟子入り後は新弟子として技の鍛錬のみならず、 相撲以外の雑用や料理番、先輩力士の付き人などの労務をこなせなければいけないといった一面もあります。
最後に力士として給料がもらえるのは「十両」以上であり、統計では年間50〜100名ほどの新弟子のうちの5〜10人程度という厳しい世界を勝ち抜く必要があるため、 単に忍耐力や誠実さといった精神面、そして何よりも相撲が大好きであることが求められるでしょう。
まとめ
以上が相撲についてのご紹介になります。
相撲は日本の国技であり、日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも知られています。
また力士による大相撲以外にも腕相撲や紙相撲といった庶民も楽しめるものや、
「独り相撲」「他人のふんどしで相撲をとる」「同じ土俵で勝負する」など日常的な会話で使われる相撲由来の言葉も数多くあり、我々に身近なものといった一面もありますね。
色々と書きましたが、相やはり撲の魅力は大相撲でぜひ感じていただきたいと思います。 その魅力がよくわからない、まだ見たことがないといった方はまずは分からないまま観戦し、 勝敗も大事ですが、例えば自分の好みの容姿、人柄、所作、言動などに注目されてみると力士たちの意外な一面が発見できと思います。
色々と書きましたが、相やはり撲の魅力は大相撲でぜひ感じていただきたいと思います。 その魅力がよくわからない、まだ見たことがないといった方はまずは分からないまま観戦し、 勝敗も大事ですが、例えば自分の好みの容姿、人柄、所作、言動などに注目されてみると力士たちの意外な一面が発見できと思います。