柳川まり保存会 北島利惠子さん
「和」の暮らしを大事にする人たちにフォーカスを当て、その方たちの生き方や人生観を”生の声”で語っていただくヒューマンドキュメントです。
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柳川まり保存会北島利惠子さんが語る、柳川まりに込められた想い
柳川まり保存会会長の北島利惠子さんを取り上げさせていただきます。
福岡県柳川市の伝統工芸品『柳川まり』は、ひな祭りの時期に合わせて毎年開催される「さげもんめぐり」でも、豪華絢爛な様相を見せてくれる、福岡県を代表する伝統工芸品の一つです。
柳川まりの伝承に深く貢献された柳川まり保存会前会長の北島妙さんの後を継ぎ、ご自身も柳川まりの制作に携わられている北島利惠子さんに、柳川まりに込められた愛溢れる深い想いについて語っていただきました。
柳川まりの歴史
– まず、まりとはどのようなものかを教えていただけますか?
まりは、もともと江戸時代に旧柳川藩に仕えていた腰元たちのお行儀見習いとしてつくられていたものです。その後、女の子の成長を祈る桃の節句のお雛様に、お人形さんや巾着と一緒に、吊るしさげの一つとして飾られるようになったと伝えられています。
– 現在北島さんが会長を務めていらっしゃる、柳川まり保存会の成り立ちについてもお聞かせいただけますか?
1964年ー東京オリンピックの年ですねーに、私の義母であり柳川まり保存会前会長である北島妙さんと、その叔母にあたる北島ミチ(初代会長)、そしてここ柳川市の地域のお母様方の有志数名が集まり、「柳川まり保存会」が発足されました。
最初は東京オリンピックの選手村のお土産品としてまりをお渡ししたいということで発足されたと伺っておりますが、城下町周辺(現在の御花周辺)のお母様方はまりをつくれる人が多かったことと、発足を発案された北島勉さん(北島妙さんのご主人)が「昔のものをなくしてはいけない。残していかないといけない。」という考えをお持ちだったこととも、発足のきっかけだったと思います。
北島勉さんは現在の川下りの発案や北原白秋生家の保存にも携わられた方でもあります。柳川まりが現在のように柳川市の伝統工芸品として皆様に知られるようになったのも、発案者である北島勉さんと、保存会メンバーの有志の方々たちのご尽力によるものだと思います。
初めてのまりづくり
– 北島さんご自身は、幼いころにまりを触られた思い出はございますか?
いえ、初めてまりを触ったのは実は高校生になってからのことでした。家庭科の授業でまりをつくる機会があり、そのときだったと思います。
はじめてのまり作りは、すごく難しかったですね。ただの丸い球体から色鮮やかなまりが出来上がることが全然イメージできなくて、お友達と四苦八苦しながら一個だけつくった思い出があります。そのときのまりは、今も実家の母が大切に保管しています。
結婚して現在の北島家に嫁いで、義母が伝統的に柳川まりをつくられているというのを知ったときは驚きましたね。「あぁ、ここの家は柳川まりをつくっているお家なんだぁ。」って。すっごくプレッシャーでした。
保存会のメンバーが家に遊びに来て接待をさせていただく機会があっても、まりをつくっているのを横でじーっと見てるだけでしたし、「(まりを)触ってごらん、刺してごらん?」と言われても、高校生のときの苦い思い出があるので「私にはできません。」とずっと遠慮をしていました。子育てもありましたので、最初はそのような期間が長かったですね。
まりづくりを習う
– お義母様にまりづくりを習ってみようと思ったのには、どのようなきっかけがあったのですか?
子育てがひと段落したときじゃないでしょうかね。五十の手習いじゃないですけど。「お義母さんが元気なうちに習っておかないともったいないかな?」と思ったんですね。
それと、自分の息子が中学生のときなんですが、息子が通っている中学校の職場体験をこの家で受け入れることになったんですね。男の子たち5、6人が家に来てまりつくりを体験したのですが、その子たちがまた、うま〜く針さばきをするんですよ!そして一個まりをつくって、「おばちゃん!上手くできたよ!」ってすご〜く嬉しそうにニコニコしながら持って帰って・・・。そのときに「あぁ、お義母さんにまりつくりを、少し習ってみようかな」と思ったこともありました。
それで、自分一人で義母から習うのは少し勇気もいりましたので(笑)お友達に「一緒に習ってみない?」と誘って、お友達と一緒にまりづくりを習ってみることになりました。
義母の指導は厳しかったですねぇ。一つでも刺すところを間違えたらハサミで全部チョキチョキ〜って切り落としてしまう。妥協を許さないと言うんでしょうか。まりの土台となる球体を300個くらいつくらないと、綺麗なまりは作れない。一人前にはなれない。とはよく言われていました。
毎日つくって、ちゃんとした綺麗な球体のまりをつくれるになるまでに5、6年はかかりましたよ。でも、自画自賛じゃないですが・・・
義母の厳しい指導があったからだと思います。ただ、今でも自分が納得できるものはなかなかできません。
柳川まりの魅力
– 柳川まりの魅力について教えていただけますか?
やっぱり見ていて飽きないというところですね。すごく綺麗で、心が和む。あと、まりをつくっているときはすごく心が落ち着きます。読書をすると心が落ち着くという方もいらっしゃいますよね?それと同じ感覚だと思います。
やっぱり、綺麗なまりをつくれるとすごく満足ですね。「あぁ、ものすごく今日はいいまりができたなぁ!」って。でも、一番いいのはまりをつくっていると気持ちが落ち着くことですね。心が和んで、家族とも優しく接することができます。
あと、まりは自分の心が映るものでもあると思います。気が乗らないときはまったくつくらないです。つくっても変形してしまうから。本当に気が急いているときは綺麗な球体にならないんですよ。なのでそういうときはもうまりは放置して、外に出て庭の枝木をジョキジョキジョキ〜って切ったりして鬱憤を晴らして(笑)ものすごくさっぱりした状態でまりつくりに戻ると、おだやか〜につくることができます。
でも義母には、まりをつくらないという日は1日もなかったですね。毎日そこの縁側に座ってず〜っとまりをつくっていらっしゃって。。。本当にまりのことが好きでしたね。
心豊かに
– お義母様の北島妙さんは、どのようなお方でしたか?
ものすごく心豊かな方でしたね。間違っていることを嫌う、間違ったことをするとどんな方であっても叱ってくださる。優しく、穏やかでも、きちんとした筋が通っている。そんな方でした。
そのような人情の厚さは、柳川の地域の特徴でもあると思います。また、そのような心の美しさが、まりにも表れているのだと思います。「思いやりのある子に育ってほしい」「美しくなってほしい」「どこに行っても愛される人になってほしい」「みんなに慕われる人になってほしい」そのような、娘たちへの祖母の気持ち、親の気持ちが、まりには込められている。受け継がれている。それはずっと言い伝わっている言葉でもありますし、それは親の願いであると、私自身も心からそう思うんですね。
だからこそ、私自身もそういう想いでまりをつくっていますし、お母さま方、お祖母さま方の「この子には、美しく、可愛く、優しく、思いやりのある子に育ってほしい。」という想いも、この丸い球体に込められているのではないでしょうか。
絶やすわけにはいかない
– いろいろな方々の想いが、まりには込められているんですね。
そうだと思います。私自身、「このまりの技術を習っておかないと損をするよ。絶やすわけにはいかんやろ。」と友達に言われてまりつくりを習い始め現在に至りますが、「柳川まりはもっと広めていかないといけない」と心から思います。
ただ、現在のコロナ禍もありますので、何をどうすればいいかはまだまだ模索中です。何かいい知恵があればぜひ教えていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
– 素敵なお話を聞かせていただきありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございます。ぜひ、また柳川市に足をお運びください。
北島利恵子さんのご自宅にて